大事な人を失う痛みと、NHKへの怒り

大事な人を失う痛みと、NHKへの怒り 遺族は「助けられたかもしれない」という後悔を抱えて生きていく

とりあえず、お待たせしました。今日はちょっと感情的になります。

普段あまり感情的にならないんですけど、僕には感情的になることがいくつかあります。うちの弟のこと、家族のことをバカにされるとキレます。友達が少ない分、友達をバカにされてもやっぱりキレます。バカにするぐらいだったらまだいいんですけど、何か危険を及ぼすとか、そういうことになると本当に許せない。

それともう一つ、僕は母親をガンで亡くしています。

僕の一番の後悔は、母親を助けられなかったことです。大事な人を亡くす苦しみと悔しさは、すごくわかります。特に、「助けられたかもしれない大事な人を助けられなかった」と思ってしまう苦しみは、本当にわかるんです。

当時、先端医療は今よりもずっと高かった。今だったらお金もあるので、いくらでもやってあげられる。でも当時の僕は学生で、何もできなかった。もし自分にお金があったら、母親を助けられたかもしれない。その後悔に、ずっと苦しむんです。

そんな後悔をしてもしょうがない。頭ではわかっています。でも、やっぱりそう思ってしまうんですよ。

遺族は「助けられたかもしれない」という後悔を抱えて生きていく

京アニの犠牲者の方々の遺族も、きっとそうなんです。

あの日、会社に行く時に止めていれば。最後に一言、何か伝えられていれば。あの日が最後になるとわかっていたら、違う言葉をかけられたかもしれない。

そういう後悔を、これから遺族の方々は抱えて生きていくんです。

それをほじくり返して、金に変えようとする人たちがいる。僕はそれが本当に許せない。

だから、もう二度とテレビに出られなくなってもいいです。はっきり言います。NHKには僕はもう二度と出ません。こういうことをするNHKには出ません。

N国党を支持するつもりはないと前から言っていましたし、今も別に支持する気はありません。でもNHKには、もう二度と出ません。1000万円積まれても出ない。それぐらいキレています。

僕は、大事な人を失う気持ちがすごくわかるので。人の死や遺族の痛みを踏みにじるやり方は、本当に汚いと思います。

ただ、感情だけで話してもしょうがないので、今回は「なぜこういうことが起きるのか」を心理学的にも話します。とはいえ、僕はかなりキレています。久しぶりに。

実名報道に公益性はあるのか

実名報道に公益性はあるのか 実名が出ることで、遺族のところに記者が押し寄せる 「公益性」ではなく、手軽に金になる情報へ向かっている

まず、こういう無理やりな大義名分による実名報道が本当にひどい。

そもそもマスメディアが他人のプライバシーを侵害しても許されるのは、公益性がある場合です。公益の利益がある場合です。

たとえば政治家が不正をした。それを実名で報道することには、公益性があるかもしれません。社会全体に関わることだからです。

でも芸能人の恋愛の話に公益性があるかというと、かなり怪しいですよね。みんなにとって利益があるのかどうか、かなり疑わしい。

では今回の場合、誰に利益がありますか。

被害者の方々の名前を実名で報道することによって、誰に利益があるんですか。

実名が出ることで、遺族のところに記者が押し寄せる

実名で報道したら、どうなると思いますか。

週刊誌や新聞の記者が、その実名をもとに遺族のところへ行くんです。ただでさえ傷ついていて、これから一生懸命乗り越えていこうとしている人たちのところへ押し寄せる。

しかも、簡単には乗り越えられないんですよ。大事な人を突然失ったトラウマは、そんなに簡単に消えません。

そういうセンシティブな遺族の方々のところに、許可も取らずにカメラを向ける。写真を撮る。家の周りに張り込む。

ただでさえ外に出るのもしんどくなっている人がいるんです。そういう人たちの家に、わけのわからない人たちが一日中張り込む。皆さん、それを想像してみてください。

誰の利益になっているんですか。

逆に聞きますけど、皆さんは被害者の方々の実名を知りたいですか。別に知りたくないですよね。

では誰が知りたいのか。

マスメディアです。書くことがなくなった記者たちです。一人ひとりの傷ついた体験を、お涙ちょうだいの記事にして金を稼ぎたい人たちです。

もちろん、記者が全員そうだとは言いません。でも、遺族が望んでいない実名公開によって得をするのは、そういうネタを欲しがっている人たちなんです。

「公益性」ではなく、手軽に金になる情報へ向かっている

本来、報道にはもっと議論すべき内容があります。

たとえば事件の背景。社会として再発を防ぐために何が必要なのか。あるいは、今まさに裏で進んでいる重要な政策や、国民にとって公益性の高い話題。

そういうことがたくさんあるのに、手軽に書けて、手軽に注目されて、手軽に金になる情報へ向かっている。今回のことで、それがよくわかります。

遺族も望んでいない実名公開。僕らも望んでいない実名公開。

それを誰が求めているのか。

金に目がくらんだマスコミだけじゃないですか、という話なんです。

毎日新聞とNHKのコメントに感じた矛盾

毎日新聞とNHKのコメントに感じた矛盾 毎日新聞の「実名報道を原則とする」への違和感 NHKの「命の重さを正確に伝える」に虫唾が走る

今回、毎日新聞とNHKのコメントが本当にすごかったんです。ここで化けの皮が剥がれたなと思いました。

情報を公開した京都府警もどうなんだという話はあります。京都府警も昔からいろいろ言われていますし、そこにも問題はあると思います。

ただ、今回はまず毎日新聞とNHKのコメントについて話します。

毎日新聞の「実名報道を原則とする」への違和感

毎日新聞は、事件や事故の犠牲者について実名での報道を原則としている。亡くなった方々の氏名を含め、正確な事実を報じることが、事件の全貌を社会に伝え、教訓とする出発点として必要だと考える。遺族への取材に関しては、その意向に十分配慮し、節度を守る。

こういう趣旨のコメントを出していました。

はあ? と思いました。

「節度」って言葉を、もう一回調べ直した方がいいんじゃないかと思うぐらいです。

事件の全貌を正確に判断して、正確に報道するために、被害者の実名は本当に必要ですか。

被害者の名前が全部公開されなかったら、京アニで起きたあの痛ましい事件が真実ではなくなるんですか。

そんなわけないですよね。

では逆に聞きたいんです。なぜ記者の本名は出さないんですか。

週刊誌も新聞も、なぜ記者の本名を出さないのか。なぜ顔を出さないのか。誰がその決定をしたのか、誰が取材にゴーサインを出したのか、誰がカメラを向けたのか。そこを明かした方が、よほど報道の信頼性は上がるはずです。

でも、それはやらない。

自分たちに責任が降りかかるのが怖いからです。好き放題書きたいからです。

これが無理やりな大義名分というものです。さも大義名分があるかのように見せているけれど、実際には自分たちの利益と保身のことしか考えていない。

NHKの「命の重さを正確に伝える」に虫唾が走る

NHKも、事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするために、被害者の実名を報道することは必要だと考えている、という趣旨のコメントを出していました。

もう、この「命の重さを正確に伝え」というあたりで、虫唾が走ります。

その上で、遺族の思いに十分配慮して取材・報道する、と言っている。

なるほど、と。

でも、実名を報道したらどうなると思いますか。

NHKが配慮するかどうかの問題だけじゃないんです。配慮できないメディアや記者たちが、そこに一番集まるんです。実名を手がかりに、遺族のところへ群がるんです。

遺族の方々には、会社に行っている人もいるでしょう。子どもを持つ親御さんもいるでしょう。その子どもにまで行く可能性がある。

そんなことも想像できずに、公共放送と言うんですか。

人の死を、もっと言うと、亡くなってしまった大事な人との思い出を踏みにじるのが公共放送なら、そんなものはいらない。

何の共感もない。そんなことすら想像できない人たちに、何を報道する価値があるのかと思います。

もう一回言います。僕はNHKに二度と出ません。

遺族の痛みを二度えぐる報道は許せない

遺族の痛みを二度えぐる報道は許せない 影響力があるなら、報じる側にも責任がある 京アニの作品を支えてきた人たちへの配慮が足りない

自分が同じことをされたらどう感じるかを考えたんです。

僕は母親をガンで亡くしました。もしそれが、全く理不尽な理由で誰かに殺されたものだったとして、その死に群がって金を稼ぐ人たちがいたら、僕はどう思うか。

僕が遺族だったら、二回、大事な人を殺されたように感じると思います。

一回目は、理不尽に命を奪われる。

二回目は、心のない人たちに心をえぐられる。

大事な人との思い出を無理やり引っ張り出されて、それを記事にされる。勝手に写真を撮られる。金に変えられる。

これを、亡くなった人たちは望みますか。望まないでしょう。

僕は母親っ子だったので、自分が同じことをされたらと思うと、本当に許せないんです。

影響力があるなら、報じる側にも責任がある

タレントや著名人は、影響力の強さゆえにプライバシーを侵害されることがあります。何回も言いますが、公益性がある場合は確かにあるかもしれません。

でも、それを言うなら記者も同じだろう、と思うんです。

その記事が真実なのか、虚偽なのか。誰がどういう意図で書いたのか。誰が実名報道の判断をしたのか。

もし本当に「正確な事実を伝えるため」と言うなら、報じる側も責任の所在を明らかにするべきです。

自分の名前も出さず、顔も出さず、こそこそと他人をつけ狙って、遺族の涙を撮って記事にする。それで「公益性」と言うのはおかしい。

悪いことをした人を追うなら、まだわかります。もちろん、その場合でも歪曲して書くなら問題があります。

でも今回、京アニの犠牲者の方々は何かしましたか。犠牲者の遺族の方々は何か悪いことをしましたか。

何もしていないですよね。

それなのに、金になるなら被害者の名前すら書く。疑いがあるだけの人のことも書く。被害者と加害者の区別すらついていないように見える。

だから、やばいと思うんです。

京アニの作品を支えてきた人たちへの配慮が足りない

僕は京アニさんのアニメがすごく好きでした。アニメが好きなので、よく見ていました。

ああいう作品を作るためには、ものすごい時間をかけて、こもって、ブラッシュアップして、なかなか帰れない日々もあったはずです。家族と過ごす時間が減っていた人もいたと思います。

そして、その人たちを遺族の方々が支えていたわけです。

もっと話したかった。最後に言いたいことがあった。支え続けてきたのに、突然奪われてしまった。

そういう遺族に対して、さらに実名報道で踏みにじるようなことができるのは、本当にやばいと思います。

すみません。少し感情的になりすぎました。

24時間テレビの時も話しましたが、僕は母親を亡くした時、長男だから泣いたらダメだと思って、泣かないように頑張っていました。その時のことを思い出してしまって、少し苦しくなりました。

ただ、このチャンネルなので、ここからは一応、心理学的な話もしておきます。

権力は共感能力を低下させる

権力は共感能力を低下させる 権力を持つと「自分の意見はみんなの意見」と思い込む 権力者はステレオタイプで判断しやすくなる

権力者は、人の気持ちがわからなくなるんです。

はっきり言ってしまうと、権力者は共感能力が低下します。権力者個人もそうですし、マスコミのように「自分たちは権力に守られている」と思っている人たちもそうです。

そういう人たちは、人の気持ちがわからなくなる。

自分の家族が無惨に殺されて、それを寄ってたかって金にしている人たちがいたら、自分ならどう思うか。普通に考えればわかるじゃないですか。

でも、その程度のことも考えられない人たちが、マスコミとして記事を書き、報道している。

そんな人たちが書いた記事を、まともに受け取っていいのかという話です。

権力を持つと「自分の意見はみんなの意見」と思い込む

心理学的には、権力を持った人は、共感力が低下するだけではありません。

自分の意見はみんなの意見だと思い込みやすくなります。

つまり、彼らは皆さんの意見を勝手に代弁しているつもりなんです。

「私たちは正義の名のもとに、多くの人たちの意見を採用している」

「社会の教訓のために必要なんだ」

そう思い込んでいる。

でも、誰も求めていないんです。少なくとも、多くの人は被害者の実名を知りたいと思っていない。遺族も望んでいない。

それなのに、自分たちが必要だと思い込んで突き進む。これが権力の怖さです。

地位が人から奪うものは、共感力や観察力なんです。

権力者はステレオタイプで判断しやすくなる

権力者は、周りの状況や他人の感情を無視して、自分の中で決めつけたステレオタイプ的な意見を言いやすくなることが、さまざまな研究で示されています。

他人に対して批判したり判断したりする時、自分の中で「こうなるべきだ」と決めたストーリーに基づいて行動しやすくなるんです。

さらに面白いのは、これは実際に権力者である場合だけではありません。

自分が権力を持っていると想像するだけでも、あるいは大企業の社員、新聞社の記者、NHKの職員のように「大きなものに所属している」と感じるだけでも、自分視点が強くなるんです。

自分の目で見た感覚しか考えられなくなる。

だから今回のように、普通に考えれば意味がわからないことでも正当化してしまう。

信憑性を言うなら、犯人について詳しく報じるならまだわかります。あるいは、記事を書いた記者が「私が責任を持って書きました。私はこういう人間です」と人となりを明かして、その上で信憑性を担保するならまだわかります。

でも、被害者の名前を公表する意味はない。

それでも自分たちは正しいと正当化してしまう。根底には、「ここで公開したらもう一記事稼げる」と思っている部分があるのではないかと感じます。

権力が自己正当化とズルを生むという研究

権力が自己正当化とズルを生むという研究 権力を持つと、自分に甘く他人に厳しくなる サイコロ実験に見る「権力感」と虚偽報告

ノースウェスタン大学の心理学者、アダム・グリンスキーさんたちの研究を見ると、自分が権力を持ったところを想像するだけで、人は自分勝手な考えを持ちやすくなり、視野が狭くなることが示されています。

視野が狭くなると、自分視点でしか物事を考えられなくなる。そして、自分の利益になることを、さもみんなの利益になることであるかのように信じ込んでしまうんです。

だから言っても聞かないんです。

なぜかというと、本人たちは気づいていないからです。

権力を持つと、自分に甘く他人に厳しくなる

さらに悪いことがあります。

権力を持つ、あるいは権力を想像することによって、人は他人に厳しくなり、自分に甘くなります。

つまり、自分のことを棚に上げて、他人に偽善の正義を振りかざす人間ができあがる。

今回の件で出てくるすべてのマスコミがそうだとは言いません。マスコミの中にも、いい人たちはいると思います。

でも、実名報道をやろうと判断した人たち。あるいは、今回のようなコメントを出した人たち。そういう人たちは、まさにこの状態に見えます。

自分がやられたらしんどいことを、他人には平気でやる。

自分の名前も出さない。顔も出さない。責任の所在も明らかにしない。その一方で、何も悪いことをしていない被害者や遺族のプライバシーはさらす。

これは、自分に甘く、他人に厳しい構造そのものです。

サイコロ実験に見る「権力感」と虚偽報告

グリンスキーさんたちの研究では、サイコロを振ってもらうゲームが行われています。

たとえば、サイコロで6が出たらお金がもらえる、というようなゲームです。

参加者を2つのグループに分けます。

一方には、自分が権力を持っているところを想像してもらう。もう一方には、自分が無力だったり、悔しい思いをした時のような、権力感が下がる状況を想像してもらう。

その状態でサイコロを振ってもらう。

すると、権力を想像した人たちは、サイコロの目をごまかしやすくなるんです。

6が出たらお金がもらえるから、実際よりも多く6が出たことにする。逆に、無力感を想像した人たちや、人の気持ちを想像しやすい状態の人たちは、比較的正直に申告する。

実際に、権力を想像した人たちは、統計的に見て自然なサイコロの出目を20%も上回る虚偽報告をしたとされています。

つまり、権力者に守られている、あるいは権力ある団体に所属していると感じるだけで、人はズルをしやすくなる。

権力を持つとズルをする。自分を正当化するようになる。

だから、そういう人たちが書いた記事をそのまま信じるのは危ないんです。

判事の研究と、メディアに支配されていた時代からの変化

判事の研究と、メディアに支配されていた時代からの変化 誰が考えてもわからないことすら、権力の中では正当化される 昔はメディアを信じざるを得なかった

これは法律の現場でも起きます。

たとえば判事です。裁判で判決を下す人たちですね。

スタンフォード大学のビジネススクールが行った研究では、1953年から1993年にアメリカの連邦最高裁が下した判決を1000件以上分析しています。

その結果、判事の権限や地位が強くなるほど、下す判決が個人的な趣味や嗜好に偏りやすくなることが示されています。

判事でさえ、地位が上がれば上がるほど、細かいニュアンスを無視して、自分の考えているやり方が正しいと決めつけやすくなる。

人間は、それぐらい権力によって偏ってしまうんです。

誰が考えてもわからないことすら、権力の中では正当化される

今回の毎日新聞やNHKのコメントを聞いて、理解できた人はいますか。

事件や事故の犠牲者を実名で報道することで信憑性を高める。命の重さを伝えるために必要だ。

本当にそう思えますか。

逆に聞きたいです。被害者の名前を知らないと、命の重さはわからないんですか。事件の重大性は伝わらないんですか。

多くの人は、そうは思わないはずです。

でも、そんな誰が考えても違和感のあることすら、わからなくなるのが権力の罠なんです。

だから僕らは、こういうものに振り回されないだけの知恵を持つ必要があります。

昔はメディアを信じざるを得なかった

昔は、こういう人たちが世の中を支配していました。

YouTubeもなかった。タレントや個人が、自分で発信して反論することも難しかった。

みんなが情報を仕入れられる媒体は、新聞やテレビぐらいだった。だから、それを信じざるを得なかったんです。

でも、これからの時代は違います。

僕らは自分の頭で考えて、自分の体で行動できるようになっています。

今回のことで、マスメディアの化けの皮が剥がれたと感じた人も多いと思います。

だからこそ、これからは自分で考える必要がある。誰かが「公益性がある」と言ったからといって、そのまま信じてはいけないんです。

寄付は京アニへ直接届けてほしい

寄付は京アニへ直接届けてほしい 遺族が前に進むには時間がかかる この動画は残す

今回は緊急でライブをしました。

前半はかなり感情的になってしまって、見苦しいところもあったと思います。僕らしくない放送だったかもしれません。

でも、これは言わなくちゃいけないと思いました。

ライブ中にスーパーチャットをたくさんいただきました。ただ、これを僕が受け取ってしまうと、マスコミと同じになってしまう。

なので、今日いただいたスーパーチャットのお金は、全部、今回の京アニ犠牲者の方々の基金に募金します。どこに基金があるのか、どうやって集計するのかは調べますが、きちんと合計して寄付します。

ただし、これから寄付したいと思っている人は、僕のスーパーチャットではなく、京アニさんに直接寄付してください。

スーパーチャットだと、YouTubeさんが一部を持っていきます。僕の手元に入るのは全額ではありません。

だから、ここではなく、京アニさんに直接寄付してあげてください。その方が一番、京アニさんのためになります。

遺族が前に進むには時間がかかる

遺族の方々は、これから本当にしんどい目に遭うと思います。

大事な人の思い出を、わけのわからない人たちに無理やりほじくり返される。時間がかかるんです。こういうものから前に進むのは、本当に時間がかかる。トラウマですから。

僕の場合は、母がガンでだんだん弱っていく姿を見ていました。変な言い方ですが、ある程度の心の準備はありました。

それでも、何もできなくなりました。

なのに、朝「行ってくるね」と元気に出ていった人の命が突然奪われた遺族が、どれだけ心を元に戻すのに時間がかかるか。

僕は心理学をやっているからこそ、その重さもわかるつもりです。

だから、遺族の方々の気持ちを踏みにじるような報道は、本当にやめてほしい。

この動画は残す

本当は、いつもなら続きの動画や別のテーマの案内をするところです。

今回は、カバートアグレッション、つまり「いい人のふりをして他人を攻撃してくる人」の話をしようと思っていました。記者の中にも、最初は神妙な顔をして「本当に痛ましい事件で、ご愁傷様です」と近づいてくる人がいるかもしれない。でも、そうやっていい人のふりをして、結局は金のことしか考えていない人もいる。

ただ、今日はもう、皆さんの気持ちは遺族の方々に向いていると思います。

だから僕の動画ではなく、京アニさんに直接寄付してください。

そして、この動画は消しません。アーカイブに残します。

多分、これを残すことによって、僕はテレビに出づらくなると思います。NHKからも二度と呼ばれないでしょう。しつこい記者に付きまとわれたり、あることないこと書かれたりするかもしれません。

でも、もういいです。

これは言わなくちゃいけないと思ったので、残します。

もし僕がテレビに出なくなったら、「ああ、そういうことだな」と思ってください。僕はYouTubeとニコニコでやっていければいいですし、本を書いたり、自分でできることをやっていきます。テレビやマスコミにお世話にならなくてもいい。

最後にもう一度言います。

マスメディアに踊らされないように気をつけてください。

皆さんの大事な人が同じことをされたらどう思うか。その視点で、今回の実名報道を見てほしいです。