『火垂るの墓』を見るたびにしんどくなるのは、戦争の悲惨さや兄妹のかわいそうさだけでは説明しきれません。この記事では、冒頭の灰皿が示す「現在に留まり続ける清太の霊」という構造から、この作品が最初から何を描こうとしているのかをたどります。 あわせて、節子の死後に残された雑炊やスイカ、清太の無表情、ホタルの扱い、高畑勲がこの作品を“泣かせる映画”として作っていないことまで整理しながら、『火垂るの墓』がなぜ「かわいそう」で終われないのかを見ていきます。 おばさんが悪い、清太が悪い、戦争が悪いといった単純な見方では ...