※本記事は、YouTube動画の内容をもとに文字起こしを行い、話し言葉や誤変換を整理したうえで、要点が伝わるようにまとめています。
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『ホモ・デウス』は、ユヴァル・ノア・ハラリが「人類はこの先どこへ向かうのか」を描いた本です。この記事では、『サピエンス全史』の続編としてこの本が何を扱っているのかを、飢餓・疫病・戦争という三つの敵の整理からたどっていきます。
あわせて、それらを絶対的な宿命ではないものにしつつある人類が、その先で何を目指すのか、不死・幸福・アップグレードという三大プロジェクトを軸に見ていきます。未来予測の面白さだけでなく、この本が突きつける人類観の怖さまで含めて整理します。
『ホモ・デウス』が長くても面白い理由や、どこが核心なのかを先に知りたい人にも読みやすい内容です。
『ホモ・デウス』は何を描いた本なのか

こんばんは。今日はユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』です。
『サピエンス全史』が、「人類はなぜこの星の支配者になったのか」を描いた本だとしたら、『ホモ・デウス』はその続きです。
世界の支配者になった人類は、この先どうなるのか。飢餓、疫病、戦争という、ずっと逃れられなかった三つの災厄を、少なくとも「絶対にどうにもならないもの」ではなくしつつある今、人類は次に何を目指すのか。その話なんですね。
デウスというのは神です。
ホモ・サピエンスが「知恵のある猿」だとしたら、ホモ・デウスは「神になった猿」。ずいぶん大げさなタイトルなんですけど、この本がやろうとしているのは、まさにその大げささに見合う話です。
しかもこの本、上下巻あってかなり長いんですけど、めちゃくちゃ面白いのはまず上巻の前半です。
とくに長い前書きみたいな第0部が強い。ここだけでも読む価値があるくらい面白い。今日は、その中身を中心に、「岡田斗司夫はこう読んだか」という形で話していきます。
人類は長いあいだ、三つの敵と戦ってきた

飢餓、疫病、戦争のために文明は作られた
ハラリによれば、人類はずっと三つの害悪と戦ってきたんですね。
飢餓、伝染病、戦争。この三つです。
宗教も、科学も、国家も、政治も、家族も、恋愛も、突き詰めればこの三つと戦って生き延びるための仕組みだった。
たとえば家族ですらそうで、人類は脳が大きいまま生まれてくるから、妊娠と出産の負担が大きい。そうなると、母子を見捨てない仕組みが必要になる。だから恋愛や家族みたいな制度や感情が発達した、という見方もできるわけです。
つまり人類文明って、すごく雑に言ってしまえば「どうやって飢えず、病気で死なず、戦争で滅びないか」のために積み上がってきた。
ところがハラリは、その三つが今や「絶対に勝てない敵」ではなくなってきた、と言うんですね。
ここで出てくるのが、「歴史は空白を許さない」という発想です。
もし人類が、ずっと全力で戦ってきた三つの敵をほぼ克服したら、そのエネルギーはどこへ向かうのか。火事がなくなった世界の消防士みたいに、「じゃあ俺たちはこれから何をすればいいんだ」となるわけです。
まず飢餓は、かつてのような意味では終わりつつある

昔の飢餓は「当たり前に大量死するもの」だった
昔の飢餓って、本当に今の感覚では想像しにくいくらいひどかったんですよね。
古代中国でも中世インドでも、干ばつが起これば人口の一割が死ぬなんて当たり前だった。食料を他の土地から運べばいいじゃないかと思うんですけど、運んでいる間に腐るし、輸送力もない。だから飢餓が起きた土地の人たちは、死に尽くすまで放置するしかなかった。
しかもこれは、中世だけの話じゃない。
17世紀末、1692年から1694年にヨーロッパで起きた飢饉では、フランスで人口の15%、280万人が餓死したと言われています。エストニアでは20%、フィンランドでは30%が死んだ。草の根を食べ、猫まで食べ、それでも死ぬ。そういう時代だったわけです。
ブリューゲルの『コカーニュの国』みたいな、食べ物が勝手に手に入る楽園の絵が中世の夢だったのも、それだけ飢餓がリアルな恐怖だったからなんですね。
チーズの山、ワインの海、ソーセージの木。そんなバカみたいな絵が真剣な夢だった。それくらい、人類にとって「食べ物がある」は奇跡だったんです。
現代の貧困は、むしろ肥満につながっている
ところが現代はどうか。
もちろん飢餓はまだゼロではないんですけど、その多くは自然災害というより政治によって作られている。たとえばシリアやスーダン、ソマリアのような地域で起こる飢餓は、「もうどうしようもない自然の脅威」というより、政治的な失敗や意図で発生しているケースが多い。
しかも今の先進国的な貧困は、飢え死にではなく肥満につながる。
ハラリは、21世紀の人類はマリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいい」を実践してしまった、と皮肉るんですね。スラムでは安い菓子パンやスナックやコーラは手に入る。でも健康な食事は手に入りにくい。だから貧しい人ほど太る。
2014年時点で、栄養不良の人口が8億人なのに対して、太りすぎの人口は21億人。
栄養不良で死ぬ人より、太りすぎで死ぬ人のほうが多い。ものすごい逆転です。
要するに、飢餓はまだ残っているけど、「人類が何万年も苦しめられてきた意味での飢餓」は、もう終わりつつある。
少なくとも、解決不能な宿命ではなくなった。ここがハラリの見方です。
疫病もまた、人類の主敵ではなくなりつつある

ペストも天然痘もスペイン風邪も、人類を壊滅させてきた
伝染病の歴史も、とんでもないんですよ。
ヨーロッパの街にあるペスト塔なんて、「ペストが終わって生き残れてよかった」という記念碑です。戦って勝ったんじゃない。ただ通り過ぎてくれた、ありがとう、という塔なんですね。それくらい、人類は疫病に対して無力だった。
14世紀のペストでは、中国の人口の半分が死に、ヨーロッパでも人口の三割が死んだ。
さらに天然痘はもっとひどい。1520年、スペイン人がメキシコに持ち込んだ天然痘によって、アステカ帝国はあっという間に壊滅していく。免疫がなかったから、人口の大半が伝染病で死んでしまう。
ハワイもそうです。
クック船長たちが持ち込んだインフルエンザや結核や梅毒で、人口50万人が7万人まで減った。要するに、外から病気が入るだけで文明や社会が崩壊する。それが長いあいだの人類史だったわけです。
そして20世紀には、スペイン風邪がある。
第一次世界大戦のグローバルな兵站網が、インフルエンザを地球規模でばらまいてしまった。1918年秋からの数か月で、世界人口の三分の一が感染し、1年で1億人が死んだとも言われる。第一次大戦そのものの死傷者より、スペイン風邪のほうがはるかに多くの人を殺しているんですね。
それでも人類は、疫病を「対処可能な問題」にした
でもその後、人類はここでも大きく変わった。
WHOは1979年に天然痘の根絶を宣言したし、SARSや鳥インフルエンザ、エボラ出血熱も、世界が恐れたほどのパンデミックにはならずに抑え込まれた。
もちろん、マラリアのように今も多くの死者を出す病気はあります。
だから「疫病は完全になくなった」とまでは言えない。でも、少なくとも昔みたいに「運が悪ければ文明ごとやられる」という相手ではなくなってきている。
今、人類の主な死因は何か。
心臓病とガンと老衰です。これ、昔ならありえないんですよ。昔はそこまで長生きする前に、飢えるか、病気で死ぬか、戦争で死んでいたからです。人類は長生きしすぎて、ようやく心臓病やガンがトップに来るようになった。
つまり、感染症に怯える時代は数万年続いたけれど、今の人類はそこから抜けつつある。
これもまた、ハラリが言う「三つの敵の克服」の一つなんですね。
戦争もまた、かつてほどには人類の中心課題ではない

昔は「人が死ぬ原因のかなりの部分」が戦争だった
日本人はとくに、戦争を人類最大の悪として教わってきました。
もちろんその感覚自体はわかるし、僕もそう教わった。でもハラリは、歴史を長く見ると、戦争ですら減少していると言うんですね。
農耕社会では、人間が死ぬ原因の15%が戦争だった。
土地を守らなきゃいけないから、組織的な争いが発生する。ところが20世紀には、戦争を含む暴力で死ぬ人の割合は5%ほどに下がり、21世紀には1%を切るところまできた。
2012年、世界で死んだ6500万人のうち、暴力で死んだ人は62万人。
その内訳は、戦争で12万人、犯罪で50万人。しかも自殺で死んだ人は80万人、糖尿病で死んだ人は150万人いる。ハラリの有名な言い方を借りると、「いまや銃の火薬より砂糖のほうが多くの人を殺している」ということになるわけです。
平和のほうが儲かる時代になった
じゃあ、なんで戦争が減ったのか。
ハラリは核兵器の抑止力も挙げるんですけど、それだけじゃない。もっと大きいのは、世界経済の基盤が「土地や資源」から「知識」に移ったからだと言うんですね。
昔の富は、穀倉地帯や鉱山や油田みたいに、土地にひもづいていた。
だから戦争で奪えた。でも知識は奪えない。シリコンバレーを軍事占領しても、そこからGoogleやAppleの知識や創造性をそのまま奪えるわけじゃない。
だから先進国では、戦争がますます割に合わなくなる。
メルセデス・ベンツの経営計画に「来年はポーランドに侵攻して安い労働力を得る」とは書いてない。そんなことをしなくても、平和な取引のほうが圧倒的に儲かるからです。
もちろん、中東やアフリカのように、まだ土地や資源に縛られた古い経済の地域では戦争が起きる。
ルワンダがコンゴのコルタン鉱山を奪った例なんかはまさにそうです。でもそれは、世界全体から見れば「まだそこだけに残っている古いタイプの戦争」になりつつある。
つまり戦争もまた、ゼロにはならない。
でも、もはや人類全体を規定する圧倒的な宿命ではなくなっている。飢餓や疫病と同じく、「対処可能な問題」に縮小してきた。そこがポイントなんですね。
三つの敵を退けたあと、人類は何を目指すのか

人類は「巨大な夏休み」に入った
ここでハラリが言うのが面白いんですよ。
人類はいま、入学試験もテストも授業も終わってしまったあとの、巨大な夏休みに入ったようなものだ、と。
これまでの歴史は、飢えないため、病気で死なないため、戦争で滅びないために総力戦をやってきた。
でもそれが終わりつつある。じゃあ、この不安のエネルギーを何に使うのか。人間は「何かしなきゃまずい」と思わずにはいられない生き物ですからね。問題が解決したら、次の問題を必ず探し始める。
その次の問題こそが、『ホモ・デウス』の本題です。
ハラリは、人類がこれから挑戦する三大プロジェクトとして、不死、幸福、アップグレードの三つを挙げています。
人類が新しく挑戦する三大プロジェクト

1. 不死――死なないことを目指す
一つ目は、不死です。
もちろん本当に完全不死というより、「死を遠ざけること」ですね。寿命を極端に延ばすこと。ハラリは、今世紀末に生まれる人間は300年から500年生きる可能性すらあると書いている。
これ、SFみたいなんですけど、すでに現実の企業が本気でやってるんですよ。
Google系のキャリコは、老化と死を解決することを目的にしているし、ピーター・ティールのように「自分が生きているあいだに永遠の命は可能だ」と公言する人もいる。
三つの敵を退けたあと、人類が真っ先にやりたがることは何か。
死にたくない、です。これはまあ、わかりやすいですよね。
2. 幸福――幸福そのものを目的化する
二つ目は、幸福の追求です。
ここでハラリは、エピクロスからベンサムまでをつないで、「個人の幸福」が現代では最上位の価値になってきた流れを語るんですね。
昔は、医療や教育や福祉も国家のためだった。
健康な国民、教育された国民がいたほうが、国家が強くなるから必要だった。ところが20世紀後半になると、それが逆転する。医療も教育も福祉も、国家のためではなく、個人の幸福のためのものになる。
長生きしたい。健康でいたい。高い教育を受けたい。高い給料を得たい。
それはもう国家の発展のためではなく、個人が自由と贅沢を味わうためだと考えられるようになった。
要するに、幸福そのものが限度なく目的化される時代に入った。
これが二つ目のプロジェクトです。
3. アップグレード――人間そのものを書き換える
三つ目がいちばん『ホモ・デウス』っぽいところで、アップグレードです。
人間が自分の心と体を作り変え、神のような性能を獲得しようとする。
生命工学で、死なない体や、太らない体や、病気になりにくい体を求める。
サイボーグ工学で、脳にスマホを埋め込んだり、視界に情報を重ねたりする。
さらに、記憶や意識をネットワークへ移すような、非有機生命的な方向すらありうる。
ここでいう「神」は、全能の創造神ではなく、古代の神話に出てくる「飛べる」「遠くと話せる」「死なない」みたいな能力のほうです。
その意味では、スマホを持っているだけで、すでに古代の神の一部の能力は手に入れているとも言える。でも人類はそんなセコい神で満足しない。もっと本気で、自分自身を神に近づけようとする。
それが、ホモ・サピエンスからホモ・デウスへの変化だ、というのがハラリの見立てなんですね。
脳を直接いじるアップグレードは、もう始まりかけている

集中力を操作する装置は「怖いほどリアル」だ
この本の後半で出てくる話の中でも、とくにゾクッとするのが脳刺激装置の話です。
経頭蓋直流刺激装置という、脳に微弱な電流を流して、ある部位を活性化し、ある部位を鎮静化する装置ですね。
もともとは統合失調症やうつの治療研究から出てきたものなんですけど、これがゲーム機として売られていたりする。
シューティングゲームの集中力を上げるデバイスとして出ていたりするわけです。名前もフォーカス。いかにもです。
さらに米軍は、狙撃手やドローン操縦者の集中力を長時間維持する研究にこれを使っている。
そして実験に参加した記者が、「頭の中の雑音が数日間まったく消えた」と語る。敵意とか恐怖とか、自分をためらわせる内なる声が全部消えて、完全な静寂と集中だけが残る。
この話、めちゃくちゃ怖いんですよね。
なぜかというと、もし人間の迷いや雑音や弱さをテクノロジーで消せるなら、それは単に便利という話では済まないからです。人間とは何か、自由意志とは何か、幸福とは何かまで全部揺らぎ始める。
『ホモ・デウス』が怖いのは、こういう話を全部、完全な絵空事ではなく「もう入口までは来てるよね」という温度で語るからなんです。
この本が本当に面白いのは、「未来予測」より「人類観」にある

ここまで聞くと、『ホモ・デウス』って未来予測の本みたいに思えるかもしれません。
でも、たぶん本当に面白いのはそこだけじゃないんですよ。
飢餓、疫病、戦争という、人類がずっと相手にしてきた三つの敵が後景に退いたとき、人類は次に何を欲望するのか。
死にたくない。もっと幸福になりたい。もっと強く、便利で、自由な存在になりたい。その欲望の方向が、不死と幸福とアップグレードへ向かう。
この流れが面白いし、ちょっと怖い。
しかもその先には、アップグレードされた一部の人間と、そうでない大多数の人間の分断まで見えてくる。神のようなエリートと、ただのホモ・サピエンスのままの人々。この本は、そういう嫌な未来も平気で見せてくる。
だから『ホモ・デウス』は、単なる教養本じゃないんですね。
「人類って、結局どこへ行きたがる生き物なんだろう」という、かなり根本的で、かなり嫌な問いを突きつけてくる本なんです。
そこが、この本のいちばん面白いところだと思います。
OTAKING / Toshio Okadaをもっと知りたい方へ
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