両親の違和感と、母親だけが見せる不自然な冷たさ

両親の違和感と、母親だけが見せる不自然な冷たさ 母親が千尋に冷たい理由という解釈

『千と千尋の神隠し』13の謎。7番目の謎は、両親の謎です。これを見てください。

千尋が、後ろの建物を「風でうなってる」と言っても、お母さんが「風でうなってるだけでしょ?」と言って振り返るんですけども、千尋の顔を見ないんですね。このまま千尋が、ずっとお母さんの手を引っ張ったり、話しかけたりしているのに、「気持ちがいいところ。車のサンドイッチ持ってくればよかった」と、お父さんに向かって言うんですよ。

この辺りのシーンで、千尋はずっと母親の注意を引こうとしているんですけども、お母さんは、ほとんど千尋の顔を見ません。というか、顔を合わせずに千尋と会話して、お父さんはちゃんと目を見て会話しているんですね。お父さんとの態度に差がありすぎます。

千尋のお母さんが変だというのは、みんなも気が付いているんですよ。見た人もみんな気が付いているんですけど。なぜかというと、お母さんは川の岩場を渡っていて、自分でも歩いていて危ないところなんですよ。それで、お父さんにキャーッと抱きついて、「危ないなー!」と言って、お父さんに抱きつくんですけども、ところが、先へ行く時は「千尋、気を付けなさい!」と言って、振り返って冷たく言うだけなんですね。

母親が千尋に冷たい理由という解釈

なぜかというと、やっぱり無意識のうちに、長男を死なせた自分の娘に辛く当たってしまうからなんですね。意識はしていないんですよ。意識の上ではちゃんと大事にしているし、「息子が死んだのは娘のせいではない!」とわかっているんですよ。わかっているんだけども、無意識に千尋の顔を見ないとか、声の色が冷たいという、実際の態度に出ちゃうわけですね。

ハクは千尋のお兄さんで。ハク自身は、長男を失ったことを隠しているわけです。だから、このお母さんは千尋に冷たいんですけども。

というわけで、これでようやっとこの映画全体に辻褄が合うんですね。なんで、このお母さんが冷たいというのを、画面上ではっきり見せながら、その理由を語らないのか。なんで、ハクが千尋と昔から知っているということを言いながら、それがいつなのか、どこなのかというふうに言わないのか。

ハクの正体と、千尋が向かう「帰れない場所」

ハクの正体と、千尋が向かう「帰れない場所」

もし、ハクが本人が言っているように神様なんだったらば、一番最初のシーンから千尋に見えているはずがないんです。この世界では、神様というのは人間に見えない存在で、夜になって、暗くなって、あの盛り場みたいなところに来てから実体化するから、ハクは神様ではないんですね。琥珀川の主だというのも、今まだそれになりかけている状態なんです。

これは、後半の限定の方で、「千と千尋の中における神様というのは何なのか?」というのをちゃんと定義していきますけども。だから、ハクはですね、ハクは千尋のために死んだんですけども、千尋はハクのために、帰り道のない電車に乗って、銭婆に会いに行ったんですね。

帰り道のない電車というのは、ハクのために帰れない死の世界に行ったということなんですよ。

ここでようやっと、「かつて、私は誰かのおかげで生きることができている。そして、私も誰かのために生きている」というのが語られているんです。それが完結するわけですね。

千尋が、ハクのために自分の死を覚悟して、「帰り道がないんだぞ」と言っている電車に乗って、あの三途の川みたいなものを延々走っていくと、これは誰が見てもわかる通り、死の世界へ行っているわけですね。死の世界へ、「もう帰れないんだぞ」というふうに釜爺に言われて行くというのは、ようやっとここで、かつて自分が誰かに命を救われて生きている、それのことに関して自分は気付きもしていなかった、そのために命を懸けて行こうというふうな話で、テーマが一巡するんですけども、この一巡するテーマというのが、肝心のところはセリフで言わずに、映像と感動的な音楽で持っていくものだから、わりとわからない構造になっているんですね。

『銀河鉄道の夜』と重なる構造

『銀河鉄道の夜』と重なる構造

それは、『銀河鉄道の夜』の中でも、主人公のジョバンニは最初、幽霊のように生きているんですよ。一番最初、学校の授業もぼんやり聞いている。それはなぜかというと、お父さんが乗っているラッコの密漁船なんですけど、お父さんは漁師なんですね。そのラッコの密漁船が、どうも事故に遭ったらしいんですよ。お父さんが死んでいるかもしれないということで、ジョバンニは心配で心配で、ずっと学校でぼんやりしている。生きているか死んでいるかわからないような状態になる。

しかし、カンパネルラたちと銀河鉄道に乗って、そこで人のために死ぬカンパネルラですね。人のために、他の子供たちのために、あえて人をかき分けて生きようとしなかったタイタニック号の乗員の話とかを聞いて、ようやっとジョバンニは生きることを取り戻すわけですね。

お父さんは結局、生死不明だったんですけど、ラストでカンパネルラのお父さんが、「カンパネルラはもうたぶん助からない」と冷静に言うんですけど、それと同時にジョバンニに、「君のお父さんに会ったよ。もうすぐ帰ってくるよ」と言ってくれるんですね。それで、お父さんが生きていることを知らされる。

たぶん、ジョバンニのお父さん自身も、船が事故にあったのに生きて帰ってくれたということは、「誰かのおかげで生きることができた」ということなんですね。ジョバンニは、それで誰かのために生きるということがわかって、生き生きとした少年、明るい少年として復活するというのが、『銀河鉄道の夜』全体のお話になっているんですけど。

『千と千尋の神隠し』全体のテーマ解釈

『千と千尋の神隠し』全体のテーマ解釈 3人とも「生きているとは言えない状態」だった 宮崎駿は、最後にちゃんと大ハッピーエンドを用意している

これ、『千と千尋』も同じなんです。『千と千尋』も冒頭のシーンで、ぼーっと生きているわけですね。ぼーっと生きてて、生きているのか死んでいるのかわからない。意欲もないような状態で、欲望がない状態。カオナシのような状態なんですよ。そのカオナシのような欲望のない、何をしたいのかもわからない状態から、人間になる話なんですね。

そもそも千尋たちの一家3人が、その不思議な世界に引き込まれていったのは、3人とも生きているとは言えない状態だったからですね。

3人とも「生きているとは言えない状態」だった

お母さんは死んだ長男のために、娘と向かい合えない。お父さんが、たぶん引っ越した理由というのは、そんなお母さんのために何か気分転換が起きている。仕事の都合とか、全く言わないんですよ。引っ越す理由が全く語られない。少なくとも、千尋が理由じゃないんですね。お父さんが引っ越す理由というのは、たぶん、お母さんの気分転換を、ずっと塞いだ状態だからということで、気分転換しようとしている。千尋は子供と引き裂かれて、絶望している。

この3人が果たして、これから、この映画が終わった後、どう生きるのか。これは、後半の最後で語ろうと思っているんですけど。実は、大ハッピーエンドを宮崎駿は用意しているんです。

宮崎駿は、最後にちゃんと大ハッピーエンドを用意している

この大ハッピーエンドというのが、わりとわからない構造のある、宮崎駿が宮崎駿のために作った映画であり、宮崎駿は登場人物を心から愛しているので、全員がちゃんと幸せになるような大ハッピーエンドを用意しているんですけど。それは、ちょっと後半で語ります。