OTAKING / Toshio Okada

千と千尋の神隠しをホラーとして読む。無人のテーマパーク、異界の入口、湯婆婆の人物像を整理

※本記事は、YouTube動画の内容をもとに文字起こしを行い、話し言葉や誤変換を整理したうえで、要点が伝わるようにまとめています。
内容理解を目的としており、発言をそのまま再現したものではありません。
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『千と千尋の神隠し』は、多くの人が知っている作品でありながら、「どんな話か」を言葉にしようとすると意外と難しい映画です。この記事では、神隠しの意味、不思議な世界の正体、そして湯婆婆という存在を、導入部の描写を手がかりに整理していきます。

特に前半は、ファンタジーというよりホラーとして見ると構造が見えやすくなります。壊れた鳥居、捨てられた石の祠、無人のテーマパーク、急激に沈む夕日と現れる影。そうした要素を追いながら、『千と千尋の神隠し』がどんな世界を描いているのかを考察します。

あわせて、悪役として見られがちな湯婆婆が本当にそうなのか、契約で成り立つ油屋の仕組みや人物像にも触れながら、この作品の見え方がどう変わるのかを見ていきます。

ジブリ映画の再上映と、今回『千と千尋』を扱う理由

ジブリ映画の再上映と、今回『千と千尋』を扱う理由

「一生に一度は映画館でジブリを!」というキャッチコピーとともに、6月29日からスタジオジブリの4作品が映画館で公開することになりました。上映作品は、『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』の4作品です。

これらの作品が映画館で見れるというのは、俺はすごい良いことだと思うので、このキャンペーンは応援したいと思います。

というわけで、今日のテーマは『千と千尋の神隠し』です。宮崎駿監督の映画としては最も評価された作品で、上映のアンケートでも一番多かったそうなんですね。日本の興行記録は300億円以上。未だに破られていない記録で、アニメのみならず、日本映画全体の興行記録としても最高峰の作品です。

ジブリ映画の中でも、『千と千尋』が一番好きという人は本当に多い。しかし、ここまでみんな見ていて、誰でも知っている作品であるにもかかわらず、「じゃあ『千と千尋』ってどんな話?」と聞かれると、なかなかパッと答えられないんです。

というのは、この作品には多くの謎があるからです。「神隠しってどういうことなのか」「千尋たちが迷い込んだ世界はどういう世界なのか」「カオナシやハクの正体は結局何なのか」。そういう部分が、ふわっとしか分からないように作ってある。

今回は、そういった謎を一つ一つ解きながら、『千と千尋の神隠し』を考察してみようと思います。題して、「究極のホラー映画、そうなの? 『千と千尋の神隠し』」。この作品は、ホラー映画として見るとすごく分かりやすい構造になっているので、その視点で見ていきます。

『千と千尋』導入部の謎

『千と千尋』導入部の謎:冒頭の現実描写と、場所の特定 / 神域への侵入と、ホラーとしての入口 / トンネルの先にある異界と、時間の異常

冒頭の現実描写と、場所の特定

『千と千尋を読み解く14の謎』。最初は「不思議な世界の謎」です。DVDは、基本的にはジブリ公式のブルーレイを参考にしています。

再生すると、最初は0分0秒、トトロのタイトルが10秒間映る。その後、3秒間の黒味があって、花とカードが映ります。「千尋 元気でまた会おうね リサ」と書いてある花とカードですね。それを見ている、嫌そうな顔をした、やる気のない少女がいる。だらしない姿勢で見ている。これで、この女の子が主人公の千尋だというのが分かるわけです。

場所は現代の日本。10歳の少女、荻野千尋と両親が、新しい街へ車で引っ越してくる。これが冒頭です。

では、この場所はどこなのか。これが映るんですね。国道20号線で、中道。この中道という地名が実在するかどうかは分からないんですけど、実は甲府なんです。国道20号線を左に曲がると甲府方面に行くので。

この研究は、ブログ「すだれさんの部屋」でかなり綿密に調査されています。例えば、最初に出てくるこの場所にしても、この位置じゃないかとか、グリーンヒルという似た建物がこの辺にあるとか。アニメの画面に映る「サイクルファーム」や「とんかつ美乃屋」、クリーニング店の位置関係まで、実際の風景と照らし合わせて特定しているんですね。

この作品あたりから、ジブリは「どこがモデルですか?」という、いわゆる聖地巡礼的な見方を強く意識されるようになってきた。なので、わざと特定できないようにもしているんですけど、その中でもかなりの場所が拾われています。

おそらく、八王子周辺のいろいろな風景を再構成して作り上げているんですが、かなり現実の風景をそのまま映そうとしている。これが、後に宮崎駿が『ポニョ』の頃になって「こういうのはもう嫌だ!」と言い出すので、美術スタッフは本当に振り回されたそうなんです。この時は、現実の風景をまるまる映すように言っておいて、後から「あんなことをやっても意味がない」と言うんだから、勝手ですよね。

千尋のお父さんの運転するアウディは、このうねうねした道を進みながら、本来行くはずだったニュータウンへの分岐を右に曲がっていきます。そしてタイトルになる。『千と千尋の神隠し』ですね。

ここまでで1分40秒。わりといろんな絵を見せながら、1分40秒でここまで来る。めちゃくちゃテンポの良い作品なんですよ。テンポは良いのに、最初の大きな事件そのものは、なかなか40分くらい起こらない。このバランスもすごい。

神域への侵入と、ホラーとしての入口

1分53秒。途中、お父さんの車は、杉の老木と倒れた鳥居を抜けて山道に入るんですね。上からカメラがずーっと下にパンしていくと、この杉の木は途中で幹が折れている。上の方は枝が折れ、かろうじて葉っぱだけが残っている。舗装道路が途中で切れ、普通の山道になる。そして傾いた鳥居が立てかけられている。

絵コンテにも、この鳥居は「壊れた鳥居」と書いてあるので、昔は向こう側へ向けて掛けられていたんでしょうね。それを今は外して、横に立てかけてある。なかなか罰当たりなことをしています。

たぶん、昔はこの舗装道路が終わって山道になるところから先が神域、つまり神様の領域だった。そのシンボルがこの杉の巨木だったわけです。でも今や枯れかけて、朽ちつつある。

何も知らない3人の乗ったアウディは、この神聖な土地に四輪駆動モードで入っていく。ここでお父さんが一度エンジンをニュートラルにして周りを見ると、千尋が不思議なものに気づきます。立てかけられた鳥居の根元の方に、石で作った小さな家がいっぱいある。神様の家、石の祠ですね。これが捨てられているんです。いっぱい捨てられている。

この乱雑な置き方が大事で、アップで見ると、石の祠が明らかに集めて捨てられているのが分かる。おそらく、昔は参道に沿ってずっと並んで祀られていたものなんですね。それを全部取り払ってしまって、神木だった杉の根元に、鳥居と一緒に寄せている。たぶん工事をした人の中に、「こんなことをしたら本当は祟りがありそうだ」と思った人がいて、せめてものつもりで、杉の根元にまとめて置いたんだと思います。

よく見ると、石の祠の屋根が外れているものもあって、中には小さい食器が見える。おそらく、お酒などを供える器だったんでしょう。その中に一つだけ赤い色があって、それがなんだかすごく怖いんですね。映画で見ると、ドキッとするように分かる。

ここまで話すと、もう分かると思うんですけど、この『神隠し』って、実はホラーなんですよ。基本はホラーで、後半がすごく楽しいファンタジーとして展開していく。千尋がホラーな現場に入って、そこで「千」という名前になって働きだすから、全体がファンタジーとして記憶されやすいんですけど、最初の30分くらいは、かなりホラー映画として作られているんですね。

湯婆婆に出会うまでの描写は、まさにホラーです。本来は神聖な領域だった場所で、鳥居が外され、神様の家が捨てられ、そこへ四輪駆動の車でガタガタと入っていく。これは、ハリウッド映画で「インディアンの呪われた土地に、何も知らず一家が引っ越していく」のとすごく似たノリなんですよね。

千尋は学校に編入する前で、宙ぶらりんの状態です。家がない神様と同じで、所属が定まっていない。石の祠が取り壊されて神様の家がなくなっているのと呼応している。だからこの不思議な世界に入れてしまうんですね。

こういうホラーには定番があって、何か同じような「縁がない状態」になっていないと入れない。実は3人とも宙ぶらりんなんです。両親も引っ越しの途中で、しかもこの家庭は家庭の危機にある。3人ともなんとなくバラバラの状態だから、この世界にすっと入れてしまう。両親の家庭の危機については後半で丁寧に説明しますが、とにかくこの時点で、家族全員が定まらない状態にあるんです。

さらに山道を走っていくと、途中から道が石畳になる。山道なのに途中から石畳になるということは、かつてそれだけ大事な道だったということです。こんな山の中で石畳を敷くなんて、相当神聖な道だったはずなんですね。城を建てる時でも、なかなかここまでしない。そういうサインを、お父さんはまるで気づかず猛スピードで走ってしまう。

絵コンテには、「お母さんは婚約時代からこういうのに慣れている」と書いてあります。だからお母さんは平気な顔をしている。一方、千尋はこういうお父さんを見るのが初めてなので、すごくびっくりしている。

トンネルの先にある異界と、時間の異常

そして突然、目の前にトンネルが現れる。その前に「石人」があります。石で彫った人形のような形ですね。石人というのは九州北部の古墳跡から出土する石像で、この聖域自体がかなり古いことを示している。

トンネルの上を見ると、何か字が書いてあるんだけど読めない。実は「油屋。コンテの指示で読めないように書いてください」とあるので、最初から読めないようにしてあるんです。

つまり、この先にあるのは、バブル崩壊前に作られた、温泉を中心としたテーマパークなんですね。ただし温泉は出ない。だから実際の油屋は石炭を焚いて、ボイラーでお湯を沸かしている。要するに、偽のスパリゾートなんです。温泉が出ないのに、温泉郷みたいな顔をしている。このあたりは、街に入ってからまた説明します。

3分23秒。タイトルが出てからここまで、ものすごくスピーディーです。両親はそのトンネルに入っていく。お父さんは「なんだ、モルタル製か。結構新しい建物だよ」と、まるで正体を見破っているように言う。お父さんは建築業で、こういう建物に詳しいから平気なんですね。

でも、トンネルの中には後ろから風がビューッと吹き込んでいく。それが嫌な予感になって、千尋は中に入るのをすごく嫌がる。

4分18秒、「私が行かない」と言っている千尋のところで、この石人にすごくゆっくりカメラが寄っていくんですね。本当に分かりにくいんだけど、背景だけが外側へ流れていって、石人に心を奪われている感じが出ている。ほんの2秒くらいの長いカットなんですが、何をやっているのか分からないくらい自然で、でもものすごく丁寧なんです。

この石人は、夜になるとカエルに変化して口から水を吐く設定だったそうですが、後に「そこまでやらなくてもいい」となって取り消された。ただし別の石人が夜に口から水を吐くシーンはある。最終的に、入っていった世界にいつの間にか川ができていて向こうへ帰れなくなるのは、こいつがカエルになったからだと考えてください。

しかも、最初に両親がトンネルへ入っていくシーンと、ラスト近くで帰っていくシーンを比べると、同じトンネルなのに違っているんですね。最初は赤いモルタルのトンネルで、石人も異様な存在感がある。ところが帰りには、石人はただの石の車止めみたいになっていて、周囲は木が生い茂っている。つまり、頭とお尻では違うトンネルなんです。

だから「トンネルを抜けたら異世界」ではなくて、実はもうトンネルのところから変な世界に入っている。もっと言えば、石の祠を通り過ぎたあたりから神様の世界に入っていたんじゃないか、ということなんですね。

トンネルの先には平原が広がり、ずっと上り坂が続いている。あとで海みたいになる場所ですね。でもそこには誰もいない。6分50秒、千尋が不安で「お母さん、お母さん、嫌だよ。行きたくないよ」と言うんですが、お母さんは「早く来なさい!」と言うだけで、一度も千尋と目を合わせない。

父親と母親は結構イチャイチャしているんですよ。お母さんはふらっとした状態で、お父さんが「大丈夫か?」と支えて、お互い笑い合っている。でも千尋に対しては冷たい。この母親の異常な冷たさには理由があるんですが、これも後半で解説するポイントです。ここを単純に「両親は子供っぽい人だから」で済ませちゃいけない。宮崎駿がそんな意味のないことをするはずがないんですよ。

5分53秒からトンネルを抜けて、7分38秒。不思議な光景が広がる。上には気持ち悪い目の看板がある。ちょっと、つげ義春っぽいですね。カメラが下りていって、お父さん、お母さん、続いて千尋が階段を登っていく。ここまでのペースもものすごくいい。

不思議な世界の正体は何か

不思議な世界の正体は何か:無人のテーマパークという舞台 / 商店街から油屋へつながる異界の設計 / ハクの警告と、世界がホラーへ転調する瞬間

無人のテーマパークという舞台

ここで見えてくるのが、「無人のテーマパーク」という構造です。つまり、神聖な場所に、現実とも幻想ともつかないテーマパークのようなものを作ってしまった。もともと神様の土地だったところに、バブル崩壊の少し前、金余りの日本が変な建物をいっぱい建てた。そしてそこに、お化けが住むようになった。

千尋のお父さんは「バブル時代の名残」みたいに言うんですけど、実はこういう巨大で奇妙なテーマパークって、日本では昔からあったんですね。明治時代から。

例えば浅草には、「富士山縦覧場」というものがあった。明治20年、浅草六区に富士山をセットとして作ってしまったんですね。高さ32メートルで、頂上まで登れるようになっていた。写真も残っていますが、人間と比べてもかなり巨大なんですよ。これが後に取り壊されて、「凌雲閣」、いわゆる浅草十二階になります。

こういう建物はえらい多かったみたいです。明治から大正のバブル期には、京王閣遊園、花月園遊園地、渡月園など、いろんな施設があった。浅草の奥山風景は「神社仏閣のデパート」とまで言われていて、そこへ行けばあらゆる神仏にお参りできるとされていた。

小説でも、江戸川乱歩が『パノラマ島奇談』や『幽霊塔』を描いているように、明治の末期から大正期、日本にちょっとバブルのような時代が来ると、神様をないがしろにしたテーマパークを建てて、そこで変なことが起こる、というモチーフが現れるんです。

つまり、『千と千尋の神隠し』というのは、実は「破棄されたテーマパーク」が舞台なんですよ。ゴーストの住み着いたテーマパークです。

商店街から油屋へつながる異界の設計

9分あたり。おいしそうな料理を見つけた千尋の両親は、無我夢中になって食べてしまう。千尋は嫌な予感がするので食べずに離れ、町の中を散策します。

そこには無人の町が広がっている。繁華街がどこまでも続いている。この提灯が後でまた効いてくるんですね。あと、影の位置にも注目してほしい。建物がこうあって、ほんの少し傾いた位置から太陽が差している。この影が、後々の怖い展開の伏線になっている。

無人の商店街を見せる時に、わざと主人公を左端に置いて、影を反対側に落とす。画面は明るいし、まだ何も怖いことは起こっていないのに、「これから何か起こる」ということを、画面の反対側で見せているんです。無駄がない。

階段を登ると、不思議な建物がある。立派な松があって、灯籠があって、その向こうに赤い欄干の太鼓橋があり、その向こうに巨大な油屋が見える。

太鼓橋というのは、単なる実用性だけじゃない。異世界の入口の記号なんです。中国の神仙思想では、仙人が住むところへ行く橋は、必ず真ん中が盛り上がった形をしている。だから、日本庭園を作る時も、実は「日本の庭」みたいな顔をしながら、中国の仙人が住む土地のミニチュアを作っていることが多い。そこへ置く橋も、必ずこういう反り返った太鼓橋になる。

その巨大版が、ここにあるわけです。そしてその向こうに、絢爛豪華な油屋が建っている。

ハクの警告と、世界がホラーへ転調する瞬間

11分。太鼓橋を渡って油屋の前に行こうとすると、白い服の少年、ハクが現れて、「戻れ! ここから先に行ってはいけない!」と言うんですね。

この時、ハクの後ろの影が急激に伸び始める。ものすごい勢いで夕日が沈んでいるから、橋の影がギューンと伸びていく。ハクが焦りながら話すうちに、横顔がどんどん赤くなっていって、影がどんどん横へ伸びていく。もうね、血みどろ付きもののホラー映画なんですよ。ここら辺、めちゃくちゃ怖い表現です。

この神様の世界、仙人の世界では、この速度で時間が流れてしまう。ここから分かるのは、現実のおよそ10倍くらいの速度です。なぜ10倍なのかは後で説明しますが、『千と千尋の神隠し』って、千尋の体感では実は4日間、つまり3泊4日の話なんですね。でも現実の世界では、その間に1か月くらい経っている。この時間差も、後半の大事なポイントです。

さっきまで誰もいなかった街に、赤い光が次々灯って、黒い影が地面からぬーっと生えてくる。千尋が慌てて「お父さん、お母さん!」と逃げ帰ると、両親はいつの間にか神様のお供え物を食べた罰で豚になっている。さらに、暗くなった街には黒い幽霊のようなものが現れる。

ここが本当にうまい。さっきまで無人だった街に、いつの間にか黒い影がぬーっと地面から生えてきて、不安そうに立っている千尋の周囲を動き回る。千尋が両親を置いて逃げようとして、最初の階段を下りると、その階段の方からも黒い影がどんどん上がってきてしまう。どんどんホラー映画になっていくわけです。

しかし、さっき登ってきた階段を下りたら、途中で水になっている。いつの間にか、くぐってきたはずのトンネルははるか向こうにあって、その向こうに街の明かりが見えている。途中は川というか海みたいになっていて、もう帰れない。この辺は絶望的なんだけど、同時に美しい風景でもあります。

宮崎駿は、ただ状況を見せるだけじゃないんですね。千尋が「こんなの嘘だ、嘘だ、消えろ、消えろ、消えてなくなれ」と言っていたら、自分の体が透明になっていく。その透けた手の向こうに、絢爛豪華な渡し舟が現れて、化け物みたいなものが上陸してくる。

つまり、「今、世界に何が起こっているのか」と「自分の体に何が起こっているのか」を、同時にワンフレームで見せるんです。単なる説明カットではなく、サスペンスと次の展開まで盛り込んでいる。ここら辺のコンテは本当に名人芸です。

この船が岸に着くと、中から神様が降りてくる。日本の神様って、本来は見えない存在なんですね。姿がない。だから、秋田のなまはげのように、お面や蓑をかぶせて「神様」にする文化がある。ニューギニアなどでも似た考え方が見られます。

だから英語タイトルが『Spirited Away』なんです。Godではなく、spirit。神というより、精霊に近いものなんですね。

その見えないはずの神様が、千尋のいる岸に上がってくると、だんだん実体化して見えるようになる。この世界は、神様の世界と人間の世界の、ちょうど狭間にあるからです。

千尋はまだそれを神様とは分からず、お化けだと思って恐怖で動けない。そこにハクが現れて、この世界の食べ物を食べさせてくれる。この世界のものを食べないと消えてしまうからです。ようやく体が元に戻る。そして油屋の隣のボイラー室へ連れていき、釜爺に会わせて、「仕事をさせてほしい」と頼めと言う。仕事をしない者は、湯屋を支配する湯婆婆に動物に変えられてしまうからです。

ここまでで16分。この16分間、ものすごい密度で、描写は完全にホラーなんですね。子供がギリギリ見られるラインに調整されたホラーなんだけど、「やってはいけないことを両親がやってしまう」「止めても聞いてくれない」「嫌な予感がするのに入ってしまう」「ありえない速度で夕日が沈み、暗くなった街に変なものが現れる」という、面白いホラー映画の展開が目白押しなんです。

ホラー映画として世界最高レベルに面白いと思うんですけど、あんまり『千と千尋』はホラーとして評価されていない。

『千と千尋』最初の謎、「不思議な世界の謎」とは何か。この不思議な世界というのは、神聖な場所に、おごり高ぶった人間がバブル時代にテーマパークを作ってしまい、それが破棄された結果、巨大な幽霊屋敷になってしまった場所なんです。

つまり、これって『シャイニング』なんですね。『シャイニング』のようなお化け屋敷ものを、めちゃくちゃ巨大なフレームにした作品なんです。ただしスケールが大きすぎるから、見ている人が「お化け屋敷ものだ」と気づかない。なんとなく不思議なファンタジー世界だと思ってしまう。

導入部の面白さはそこです。実はホラー映画で、お化け屋敷もので、逃げられなくなった少女の話なんだけど、途中からお化けたちの気持ちが分かったり、お化けたちと一緒に働く不思議な展開になっていく。現実からホラーへ入り、そこからファンタジーへ転調していく。この構造には元ネタもあるんですが、それはまた次の話です。

湯婆婆の謎

湯婆婆の謎:湯婆婆は本当に悪役なのか / 奴隷ではなく契約で動く世界 / 湯婆婆の欠点は、人を好きになりすぎること / 湯婆婆はナウシカであり、エボシの先にいる存在

湯婆婆は本当に悪役なのか

次は「湯婆婆の謎」です。この無料パートで絶対語りたかったのが、湯婆婆の話なんですよ。世間では湯婆婆が誤解されすぎている。それが残念なんです。

お客さんって基本的にセリフで判断するんですよ。セリフで、この人は良い人、この人は悪い人と考える。だから湯婆婆は、えげつなくて残酷で、電車に乗って会いに行く双子の姉のゼニーバは優しい、というふうに思ってしまう。でも、それはセリフだけ見ていたらそう見えるだけなんです。千尋が「おばあちゃん」と言って抱きつくから、なおさらゼニーバを良い人だと思ってしまう。でも、とんでもない。ゼニーバの方が100倍怖いよ、という話は後半でやります。

湯婆婆の正体は魔女です。つまり、もともとは人間なんですね。顔がデカいし鳥に変身するけど、それは魔法です。そして油屋という銭湯で、女中やカエルやナメクジみたいな連中を働かせている。

ただ、この湯婆婆、実はホワイト企業の経営者だと言われているんです。ネットでも、「どんな人にも働く意欲があれば仕事を与え、新人に対しても優劣をつけず、手柄があればちゃんと褒め、理不尽な客には上司として自ら立ち向かう。経営者として素晴らしい魔女」と言われている。

実際、「お客様とて許せぬ!」という名セリフもある。理不尽な客に対して、上司として自分が前に出るんですね。カオナシに対してかめはめ波みたいなものを撃つあたりも、『千と千尋』の遊び心なんです。湯婆婆まわりって、結構ギャグが多いんですよ。ただ観客はあまり笑わない。なぜかというと、この人をずっと怖い人として見てしまっているからです。

高畑勲が『カリオストロの城』の頃と比べて、「『千と千尋』にはいっぱい動きはあるんだけども、客は誰一人笑わなかった」と宮崎駿に嫌味を言ったそうですが、まさにそこなんですよね。

しかも、住み込み環境は完全整備、制服と着替えは支給、食事あり、理由ある休みは取れる、始業も札をひっくり返すだけで、何分前行動みたいなルールもない。たしかにかなりホワイトなんです。

奴隷ではなく契約で動く世界

面白いのは、尺の関係でカットされた釜爺と千尋のセリフです。本編では削られたんですけど、本当はこういうやりとりがあった。

「このハンコは恐ろしい。あのハンコは魔女の奴隷のハンコだ」

それに対して千尋が、「私、もう奴隷かと思ってた。みんな奴隷労働させられると思ってた」と言う。すると釜爺がこう言うんです。

「ふん、俺たちは歴とした労働者だ。自分で決めて、ここで働いているんだよ。ここにいるのも、出ていくのも自由さ。本当の名前を魔女には秘密にしてるからな」

つまり、これ、自由契約なんですね。本当はこのセリフがあるとすごく分かりやすいんですが、カットされてしまった。実は湯婆婆は、支配しているというより、契約で人を囲っている。そこに彼女のプライドがあるんです。

湯婆婆の欠点は、人を好きになりすぎること

ただし、この湯婆婆にも欠点がある。人を好きになりすぎるんです。人情がありすぎて、愛するものを手放せない。

坊は分かりやすいですよね。溺愛している。でも、それだけじゃない。ハクにしても、千尋にしても、実は気に入っているんです。セリフではえげつないことを言うけど、気に入っているからこそ、感情が強く出る。

例えば、千尋がゼニーバに会いに行ったと知ると、ものすごく怒る。「何?」となって、千尋の両親を「食べさせろ」とまで言う。基本的に、愛情があるから怒るんですよ。愛情が深すぎるから、一回気に入った人が自分のもとを離れようとすると許せなくなる。

同時に、ハクが怪我をして役に立たなくなった時には、「もうそいつは役に立たないよ。捨てておしまい!」とも言う。つまり、好きになる理由はあるんだけど、それが「自分にとって役に立つ」「自分に良いことをする」という条件に寄ってしまう。役に立たなくなったり、自分のもとを去ろうとしたりすると、極端に憎んだり、極端にいらないもの扱いしたりする。

だから湯婆婆って、すごく人間味が強すぎる人なんですよ。顔は悪いんだけど、憎めない。

湯婆婆はナウシカであり、エボシの先にいる存在

油屋で働いているカエルや女たちは、もともとカエルやナメクジが人間になったという設定もあるし、逆に全員人間だったのが働けなくなってカエルやナメクジになったという設定もある。宮崎駿自身が聞かれるたびに違うことを言うので、ここは公式には統一されていません。

ただ、一つ言えるのは、「カエルやナメクジを使う」ということです。昔の日本では、カエルやナメクジはひとまとめにされていたんですね。本草学では、人間、獣、鳥、魚以外の小さい生き物を全部「虫」と呼んでいた。蛇も虫なんですよ。マムシに「ムシ」が入っているのはその名残です。

つまり、湯婆婆とは何かというと、「虫を愛でる人」「虫を愛でる姫様」なんですね。だから湯婆婆は、実はナウシカなんですよ。ナウシカでありながら、仲間を対等に扱い、契約を重んじる。さらに言えば、エボシ御前なんです。『もののけ姫』のエボシ様が暴君化した存在なんですね。

もともとはナウシカ的な人だった。周りと戦ううちに、自分たちのルールを作り、それを守るべきだと考えるようになった。全員公平に扱っているうちは良かったんです。でも年を取り、若い頃は抑えていた情熱が暴走して、暴君になっていく。そういう暴君化したエボシ御前。それが湯婆婆なんです。

だから湯婆婆って、もっと若い頃は、もう少し判断もしっかりしていて、人情家でもあったと思うんです。でも、自分が好きになった人、自分が好きになった財宝に囚われて、以前の人間味を失っていき、嫌われ、恐れられる存在になった。

ドーラ婆さんの未来の姿であると同時に、おそらく宮崎駿から見た鈴木敏夫なんですね。あるいは宮崎駿自身かもしれない。2人とも、気に入った人を徹底的にひいきし、自分から離れていった人にはすごく冷たいことで有名ですから。

宮崎駿のヒロイン像って、幼い頃はシータみたいな「すごくいい子」として描かれる。それがナウシカみたいに情熱を持つ存在になり、エボシのように人の上に立つリーダーになる。その後、ドーラのように欲が出てきて、最後、湯婆婆のように、自分の欲望と人への愛情の区別がつかなくなって暴走する。これが一つのサイクルなんですよ。

僕らは映画を観る時、シータはずっとシータのまま、クラリスはずっとクラリスのままだと思いがちなんですけど、宮崎駿の中ではキャラクターはちゃんと成長し、年を取っていく。だから『トトロ』のサツキやメイも、「僕の中ではもう30過ぎたおばさんになってる」と語っていたりする。

正義感が強く、面倒見が良くて、約束は守る。でもその代わり、周りの人をつい好きになりすぎ、頼られすぎ、裏切りや別れに耐えられない。一人になるのが怖くて、どんどん暴君化していく。これが湯婆婆であり、宮崎駿のヒロイン進化論なんだと思います。

釜爺の「戻りの電車」発言と、死後の世界の解釈

釜爺の「戻りの電車」発言と、死後の世界の解釈

ここで一つ質問があります。『千と千尋の神隠し』の回で、「電車に乗って行った先が死の世界だ」という話をしたんですが、ではなぜ釜爺は「昔は戻りの電車があったはずなんじゃが」と言ったのか、という質問です。

たぶんこれは限定の方で詳しく答えている話なんですけど、ポイントだけ言うと、日本神話では太古の時代、死後の世界と生きている者の世界はつながっていた、ということなんですね。死んだ祖先にも、特定の儀式をすれば会いに行けた。

しかし、ある事件が起きて、死後の世界と生きている世界をつなぐ坂道にある岩戸が封印されてしまった。これが日本神話の中にある出来事です。

釜爺というのは、その時代の生き証人なんです。実は釜爺の正体というのは、あるおとぎ話の主人公なので、死の国から帰ってくる恐ろしさをよく知っている。だから「昔は帰ってこられた」というのは、彼の経験でもあるわけです。死後の世界、黄泉の国、おとぎの国に行って帰ってきた存在だからです。

でも、今はもう違う。なぜかというと、生者の世界と死者の世界をつなぐ坂道が閉じられ、永遠に封印されてしまったから。だから、昔は戻りの電車があったはずなんじゃが、という言い方になるわけです。

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こちらが、今回の記事の元になったYouTube動画です。
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